作陶について
瀬戸赤津、秋坂の山中は眼前に霊峰猿投山を仰ぎ、そのふもとには猿投南西麓古窯群を始め平安、鎌倉、室町の古窯跡、史跡などが点在しており西方には遥か濃尾平野を見おろす景勝の地にある。
豊富な陶土にめぐまれた陶郷と呼ぶにふさわしい情景の中に佇み、あまたの先達がこの地に窯を築き陶業に励んだ。
一、焼。二、土。三、細工。いにしえからの口伝のように、加藤宇助の作陶はまず素材の持つ特性を十分に引き出す仕事を根幹としている。古典に学び本歌取としての作品も残しているが鎌倉、桃山を規範として押さえつつ単なる再現に終始せず当意即妙、緩急自在、豪快な轆轤さばきを見せた。
窯は自ら設計した二連房の登り窯を築き、焼き抜いた美しさを持つ青銅釉など、一つの型にとらわれることのない創意を表出した作品をめざした。
宇助の作品には「う」の彫銘又は「宇助」の落款がある。古瀬戸様式を範とした作品を制作の後、作品の多くは青銅釉、織部、瀬戸黒といった侘び寂びのある茶陶が中心になるが、お茶道具の他、酒器や花瓶、置物なども幅広く取り組んだ。これらの作品の中にも雅見深い趣や古典から解放された生きいきとした作風を見ることができる。
用語解説
| 織部 | 戦国の武将であり茶人であった古田織部正重成の好みの意匠を持った焼物の総称。 |
|---|---|
| 志野 | 主に百草土を使い長石を施釉したもので無地に火色、あるいは簡素に鉄絵を描いた作風。 日本で初めて焼かれた白い焼き物と言われている。 |
| 黄瀬戸 | 桃山時代に華南三彩(中国南方で焼かれた陶磁器)、あるいは金属器を意識した器形に倣い作られたと考えられる。樹木の灰を主とした古瀬戸系の灰釉を元に箆彫りや印花などを施し胆礬(銅)、鬼板(含鉄土石)を打ち妙味を出している。 |
| 瀬戸黒 | 天正年間より造られたと言われていたが、近年の古窯発掘調査では慶長年間以降の作と考えられている。またはその技法上から引出黒とも呼ばれる。 |
| 青銅釉 | 主に銅緑釉を基本とし千倉(風化長石)、酸化鉄、などを用いた碧青色と錆色をまとう独自の釉薬。 |
| 本歌取 | 本来は典拠となる古歌を用いた歌学における和歌制作技法の一つであるが、作陶で例えるならば古典、名陶、これらの表面な部分を真似るのではなく、技術的な必然性を理解した上でオリジナルの作品を生かし自分なりの新たな作風を加え、本歌とは違った趣のある作品を創りだすもの。この作業には製土、成形、意匠、釉薬、焼成など技術的なものは無論、歴史の背景、文化などの深い理解が必要となる。模作とは異なる本歌取、あるいは写しと言う創作、または基本的な作陶技術習得方法でもある。 |