略歴【1915~1981】
加藤宇助は大正4年、愛知県東春日井郡赤津村(愛知県瀬戸市赤津町)に生まれる。先祖は寛文4年(1664)赤津村に築窯したと文献に残されており古くから続く窯元である。嘉永6年6月(1853)「赤津村元窯調」では、清二郎、仙左衛門、宇助、佐十郎、唐三朗、仁兵衛などと記されており、宇助は先祖と同じ名前を命名され幼少の頃より家業を手伝い作陶の基礎を身に付けていった。
近隣には同業の窯元も多く、加えて里山には鎌倉、室町、江戸時代の窯跡が数多く点在しており皿、茶碗、壷などの陶片に興味を持ち遊びの中で収集して作陶技術についての知識を蓄えていった。このようなことは往時の窯元子弟の内ではごく通常のことであった。
若年より作陶に長じて窯元を受け継ぎより修練を積む。累代の血筋か天性の轆轤の技倆は瀬戸随一と知れ渡っていた。初期の作品としては織部焼のお茶道具などを製作していたが次第に作風を広げ六古窯の一つ、古瀬戸を講究 古瀬戸様式を範とした作品を作陶。昭和35年には文部省文化財保護委員会より依属製作を受け鎌倉時代の古瀬戸様式で古瀬戸菊唐草花紋瓶子を再現する。更に瀬戸、美濃に伝わる伝統技法の研鑽に励み、表現としての工芸を意識して独自性の強い作品を創り出し作風を変化させていった。
なかでも宇助の真骨頂として高い評価を受けたのは古来より茶の湯数寄に珍重されてきた瀬戸黒茶碗であった。極めた技術力と完成度、いにしえの茶碗が持つ古格にも劣らぬ風格を備え、美や喜びを喚起してくれる作品として現代に瀬戸黒茶碗を蘇らせた。
斬新な仕事としては銅緑釉を基本として、独自の碧青色を表現した青銅釉を発表、花瓶、造形的な置物.茶道具などの製作に非凡な才能を発揮した。 東京、大阪、など各地で個展、米国ロサンゼルスでは作品展を開催。チェコスロバキアに作品永久保存。
1981(昭和56)年 65歳歿
歿後、平成23年 瀬戸市美術館に青銅釉花瓶 収蔵